久松小学校について

東京都中央区立久松小学校と久松家の関係について

東京日本橋にある東京都中央区立久松小学校は、明治6年(1873年)の開校です。周年記念式典には、昭和天皇皇后両陛下・今上天皇皇后両陛下・浩宮さま・秋篠宮さまご夫妻・常陸宮さまご夫妻など、10年ごとにつぎつぎご臨席を賜っている伝統校です。

しかし近年まで、学校名は所在地の「久松町」からきていると言われており、この町名は1680年代に成立しているので一理あります。開校当初は「第二番小学」というナンバースクールでしたが、以後に続く各校もナンバーを採用することから次第と紛らわしくなり、文部省は地名・人名などを使って固有名詞にするよう通達を出しました。そこで、わずか数ヶ月ですが「菅原学校」と名乗ったことがあります。その後「久松学校」に改称しましたが、「地名から取った」という伝承が正しいとすれば、「菅原学校」という名前が付くのはおかしな話です。

そして平成5年に、このような経緯に疑問を抱いた同校校友会会長・渡邊氏(当時)により、『東京府志料』に「久松学校 明治六年七月創建ス華族久松定謨ノ献金ヲ資本トシテ新築セシカハ其姓ヲ取ツテ校名トセリ」との表記が発見され、考証が重ねられた結果、久松定謨伯爵の献金が基で、校名も久松定謨に由来ということが史実としての認識が改められました。

久松家に感謝する会

校名の由来が久松家にあることが、校友会発行の機関紙に掲載されたことを受け、定説を覆したことで地元紙にも掲載されるなど非常な反響を呼びました。『由来が分かった以上は「久松家に感謝する会」を催し敬意を表すのが筋』という渡邊氏の提案を周囲が受け入れ、学校当局・校友会・松友会・地元などこぞって参加し、2003年に久松定成ご夫妻を学校へお迎えしました。

大林寺への墓参

私立学校であれば理事長という立場の久松定成氏が亡くなられたことを受け、これまでの経緯から、渡邊氏をはじめ校友会関係者が墓参団を結成し、旧松山藩主久松家菩提寺である松山市の大林寺へ参拝されました。

  


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