萬翠荘のみどころ

萬翠荘は、総面積887.58m²(268坪)の地下1階、地上3階、愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造りです。ネオルネッサンスと呼ばれる格調高い様式で、西洋建築の多くは左右対称ですが、萬翠荘は日本人のアンバランスの美意識、左右非対称で構成されています。
正面の車寄せと玄関ホールの柱の頂部には、コリント式と呼ばれるギリシャ建築に由来の飾りが見られます。また、屋根の頂部には銅板を使用し、その下の急勾配は天然スレート葺です。20世紀初頭に欧州を風靡したアールヌーボーの作風です。
避雷針の先端には、松山藩の大判・小判が使われ各所に工夫が見られます。

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絵画

萬翠荘1階広間を飾る2面の絵画は、松山市出身の画家・八木彩霞によって描かれました。

【拡大表示】絵画「三坂峠」 「三坂峠」
伊予松山藩15万石の財政を支えた水田の広がる松山平野を
、三坂峠から遠望したパノラマです。


【拡大表示】絵画「神奈川台場の図」 「神奈川台場の図」
江戸幕府から神奈川湾警備を命じられた松山藩が、藩財政1年分に当たる7万両と延べ30万人を投入しわずか1年で築造した神奈川台場から神奈川湾、さらに遠く房総半島を望むパノラマです。

現在人口360万人余りの横浜市も、幕末には神奈川宿と横浜村を合わせても人口5千人余りでした。明治以降、横浜が港町として発展し始めた背景を、萬翠荘の壁画に見ることができます。

大正11年11月、新築になった萬翠荘で裕仁親王を迎えた久松伯爵は、横浜発展の歴史とこれらの絵画の由来を詳しく説明しました。裕仁親王はここを気に入り、以後松山ご訪問のたびにお立ち寄りになりました。

ステンドグラス

【拡大表示】ステンドグラス踊り場壁面のステンドグラスは、それぞれのガラスの色彩は単一ではなくグラデーションになっています。
(アメリカ式ステンドグラス=グラデーション、西欧式ステンドグラス=単色)

描かれている波と帆船は、久松定謨が明治20年(1887年)10月にフランス・サンシール陸軍士官学校に入校するため、あるいは明治35年(1902年)8月のフランス公使館附武官就任の際に渡った海原を思い起こさせるものとなっています。

平成22年度文化財調査の結果、旧島津邸、大阪中央公会堂などのステンドグラスを手掛けた木内真太郎氏の作品であることが判明しました。


屋根裏の屋根を支える鉄骨骨組み(一般未公開)

【拡大表示】屋根裏の屋根を支える鉄骨骨組み萬翠荘の3階は屋根裏部屋(当時は物置として使用)ですが、その一部に屋根を支える鉄の骨組みを見ることができます。この骨組みは建築当時のもので、平成20年の修復工事の際に塗装されました。

平成21年10月に日本建築学会の総会が松山市で開催された際には、多くの建築家が訪れてこの鉄骨の骨組みに注目しました。

※3階への入り口扉は施錠されていますが、ご要望があればご覧いただけますので、お気軽にお申し付け下さい。(前日までにご一報くださるようお願いします)

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